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過去の話題

1998年〜2004年までの日記(のようなもの)です。
 現在、更新はブログにて行っています。

1998年12月25日 年末

いよいよ年末を迎えた。今年もいろいろなことがあった。僕にとって今年はインターネットを開始した年で、そこから様々な経験を得た。そしてサイトの運営開始からまもなく1年。その間いろいろな人とネットで出会い、そして悲しいことに別れてもいった。インターネットのウェブページは自分自身の表現の場として最適な環境と言えただろう。実際に会ったこともない人から有り難いコメントを頂いたり、冷静な批評を頂いたり、それは自分自身を見つめ直すのにも役に立った。もちろんオフライン上での生活もそれなりに大変だった。大学生活にバイト生活そして自分の時間。時間をどう切り分けるかに苦労した一年だった。特にピアノを弾く時間がほとんどなかったことには残念で仕方ない。さて来年、まずは大学の後期試験が控えている。しばらくは全力投球で乗り切るしかない。その後に待つ長い春休みのために。

1998年12月12日 懐古

世間ではクリスマスモードに突入した。その後には正月が控えていて25日と26日では街に雰囲気ががらりと変わる。この様子は見ていて慌ただしい。明治時代、文明開化というのが盛んに言われ、都市部では急速な西欧化が進められた。が、当時の文化人は口を揃えて曰く「和洋折衷はありえない」。西欧諸国は科学の国であり、人間と自然を対置する、しかし日本においては自然との共存、つまり和の心である。つまり日本の精神の中に西欧の風を持ちこむのは、そもそも無理がある相容れない関係だ…ということだ。現代において、環境を破壊し尽くす日本人に自然との共存などという意思があるのかわからないが、やはり根底にはそういうものがあるのだろう。西欧への憧れがクリスマスによって表現され、和への懐古が正月へと表れる。しかし、最近では正月にコマを回したり、凧を揚げたりという風景が見られないのが残念だ。最近の子供達はコタツでプレステが正月の行事なのだろうか。

1998年12月1日 師走

僧侶が忙しく走り回る様からその名がついた師走。カレンダーも残り一枚となり来年のカレンダーをどこで手に入れようかなどと考えているところだ。デパートに足を踏み入れれば、そこにはクリスマスの飾りに彩られたスペースがあって各種グッズなどが取り揃えられている。横浜そごうの前には恒例の白いクリスマスツリーのゲートが設置され、煌びやかな電飾は目に眩しい。僕はクリスマス当日より、こうした準備の期間が非常に好きである。街が洋風に変わって、この景色は非常に綺麗だ。街にはクリスマスキャロルが流れ、どことなく和やかな雰囲気にさせられる。しかし、こう落ち着いている場合ではない。本当に忙しくなる季節なのだ。大学でのレポートやテストの準備、年末恒例の大掃除にアルバイト。この季節は現実と夢の入り混じった、そんな風に思う。

1998年11月22日 MIDIサイト

"9月6日のこの欄で僕は以下のように書いた。>このソフトウェアシンセサイザ、Faith という会社が作っているようだが
>単品販売してもらえないだろうか。というぐらいの出来。
これはSo-netが用意しているインターネットカラオケについてコメントしたものだが、このソフトウェアシンセサイザがMIDIに対応してオンライン販売されている。さらにKORG,Roland,YAMAHAなどの高品位MIDI Dataも約7,500曲登録され、新MIDIサイトとして誕生したのである。やはりプロの腕は素晴らしい。特にハードウェア音源を持っている人はぜひダウンロードして聴いてみることをお勧めする。

1998年11月11日 高校生と煙草

最近の高校生は辺りを気にせず平然と煙草を吸っている。先日、横浜駅前の交番付近で馬鹿な高校生が集団で補導されていた。おおよそ「吸ってない」とむなしい抵抗をした後、交番内で吐露するのだろう。未成年者の喫煙は法律にて禁じられているわけだから、それなりの処分があるはずだ。しかし高校の制服姿で煙草を吸う仕草はカッコ悪い。僕の友人は街角でそういう高校生を見かけたら警察に通報するよと言っている。大人を前に堂々と吸うのは止めたほうがいいね。それに煙草は背伸びして嗜むほどのものではない。高校生のモラルの低下が言われているが、タバコによる健康上の問題や援助交際によるエイズなどの感染。どれも自分自身に降りかかってくる問題だ。どうせ大人の言うことなんて聞かないだろうから、あとで後悔することになるわけだ。

1998年11月8日 シェアウェア

Win Grooveというシェアウェアがある。いわゆるソフトウェアシンセサイザだが音はなかなか良い。少し機械的なサウンドだがストレートに伸びてくる感じ。作者の音へのこだわりを感じさせる逸品だ。30日間の試用が可能なので試してみるといいだろう。しかし、このソフトはある問題で騒がれた。Win Grooveのユーザ登録を行う際に特定の不正ユーザIDと特定の不正パスワードを使用すると、ハードディスクの内容を消去してしまうというのだ。作者は、不正ユーザー対策のために試作したものが、正式版に紛れ込んだ「事故」と表現している。しかし現在、作者のサイトにアップされているプログラムについてはこのような問題ない。確かに作者の気持ちはよくわかる。だが、シェアウェアの送金手段が少し面倒であったりして、ついついそういう不正ID、パスワードに手を出してしまうユーザーがいるのである。もちろん作者の立場からすると許せないことだろう。このような立派なソフトウェアシンセサイザがシェアウェアであることに意義は無い。けれどもこの「事故」については少し残念だ。かといって今後もこれに限らずシェアウェアの不正使用ユーザは途絶えないだろう。それもまた残念である。

1998年11月1日 横浜

横浜ベイスターズの38年ぶりの日本一によって横浜は活気に溢れた。これによる経済効果はかなりあったはずだ。ちょうど日本シリーズ優勝と国体が重なったため、ジャージ姿で観光する選手たちもしばしば見られた。大学へ通うために毎日横浜へと通う自分でさえ、この混雑さには驚いたものだ。特に横浜そごう前の大魔神社(横浜ベイスターズの優勝を祈願して設置)前はカメラを持った観光客で溢れ、賽銭がつぎつぎと投げ込まれていた。商店街もここぞとばかり商品をワゴンに押し込み、売上げを出していた。さて、僕はどうか。優勝セールに足を運んでみたもののお金を使う気は起こらなかった。レジに並ぶ長蛇の列。店員の声、BGMの大音量。少し疲れそうな街の気配に敬遠していたのかもしれない。店員をバッターに例えるなら、お金をストライクゾーンに叩き込むのが惜しかったのだ。さて、横浜が野球に染まる中、フリューゲルスとマリノスの合併。世の中はまだまだ不景気である。

1998年10月19日 CD

CDの棚を覗きこんでいたところ、あるCDを見つけた。確かに以前購入したものだ。しかし購入したことを忘れていた。それはバッハのブランデンブルグ協奏曲なのだが、最近CD屋で新譜が出たときに「買おうかな、無かったし」と思っていた。買わなくて正解だったのだが、どうしたものか。最近はクラシックを聴く暇がなくて(そもそも演奏時間が長いし)買った時のままCDの棚に並べられることが多い。これではいけないと、早速聴いてみた。やはり落ち着くものだ。バロック音楽は素朴ながらうまくツボに入る。音楽療法などでよくバロック音楽が取り上げられるが、これには確かにと思う。

1998年10月17日 ピアノ

最近はピアノを弾いていない。本当は弾きたいのだが、時間がかみ合わない。真夜中でもジャジャンと盛大に鳴らせる環境であれば、こうした不満は持たないのであるが、日本の住宅事情、家庭の事情を考えればそうもいかない。そこで、本格的な電子ピアノを購入しようと思っている。最近の技術は素晴らしく、鍵盤の重さまでこだわって作っていたり(各音微妙に重さが違う)タッチレスポンスもかなり絶妙な域に入っている。その代わり価格も高いのだが、本物のコンサート・グランドを買うよりはもちろん安い。うちのアップライトピアノは十何年と使ってきたものだけに、愛着はある。指がこの鍵盤に馴染んでしまった。他のピアノを弾くときに音の違いとか、タッチの違いなどに納得がいかないことがあるが、このピアノだけは弾いていて落ち着ける。ピアニストのホロヴィッツやワイセンベルクは自分のピアノをコンサート会場まで運ばせるのだが、この気持ちはよく分かる。

1998年10月1日 秋雨

秋雨が降っている。しばらくスッキリしない天候が続くようだ。こんな日は家でゴロゴロしたい気分である。さて、新しいソフトウェアCakewalk Home Studio7を購入した。DTM用のソフトで比較的安価ながらも使いやすいソフトである。この Home Studioの他にも上位版のProfessionalと Pro Audioがある。基本操作は同じなので単にMIDIを扱うのであれば Home Studioで足りる。今まで同ソフトのVersion6.0を使用していたが、新しいバージョンからは「コンソールウィンドウ」がついたり、インターフェイスが改良されたりと、最初はちょっと戸惑うかもしれない。ついでにホイールマウスを購入した。いわゆるインテリマウスの互換機(?!)でUSB接続するものを選んだ。初めてUSBポートを使用してみたが、つないだ途端に自動的にコンピュータが反応してドライバを読み込みはじめる。これはホットプラグという機能である。使ってみた感想としてはUSBマウスの方がPS/2マウスよりカーソルが滑らかに動く。そしてホイールは結構使いやすい。

1998年9月26日 横浜のCDショップ

僕はクラシックなどのCDをおおよそ輸入盤で探す。が、輸入盤まで置いてあるところはあまり多くない。高校時代は小田原のEPO内にあるTaharaというCD屋で探していたが、今やクラシックのコーナーは縮小してしまった。あとは藤沢の東急ハンズ地下にあるTaharaか OPAにあるタワーレコード、横浜だったらHMVか新星堂である。しかし最近になって駅ビルのルミネ4階にTaharaが誕生した。輸入盤は店によって値段が違うので足を使って一番安いところで買う。また、モノによってはなかなか見つからないのもある。だから店はたくさんあったほうがいい。しかしTaharaは勢力を伸ばしてきた感がある。ちょっとだけ高いんだけどね。ちょっとした幸せである。

1998年9月24日 ウィンドウズ98その2

Windows98 導入してからやや動作が不安定になった。アップグレード版の宿命といったところか。時々ソフトウェアが応答せず、強制終了しなければならないことがある。これならIE4.01+95の環境のほうが良かったりもする。しかし、戻れないのだ。FAT32の環境では Windows95はインストールできないのである。まあ厳密には出来ないこともないが非常に遠回りになってしまう。そうなると解決策が用意されているはずだ。いろいろやってみたが、以下の方法で可能だ。1.Windows98 の環境で「起動ディスク」を作成する。(2枚)(コントロールパネルの中の「アプリケーションの追加と削除」から作成できる)2.バックアップをする。(ドライバ類もフロッピィディスク等に入れておくことを勧める)3.起動ディスク1をセットしてコンピュータを再起動する。4.出てきたメニューの「1.Start Computer with CD-ROM Support」を選ぶ。5.指示どおり起動ディスク2をセットする。6.コマンド入力モードで「format c:」 と入力し、ハードディスクを初期化。7.フォーマットが終了したら「setup」 と入力する。8.セットアップが開始する。ただし、モデム等をうまく認識しないことがあるので、一応ドライバをフロッピィディスクに入れておくことを勧める。僕の場合、モデムが不明なデバイスとして認識されていたので、それを一旦削除し、更新してドライバの場所(FD)を指定した。これで解決できる。そうして見る Windows98。とてもシンプルだ。ソフトをインストールするときは98での動作が確認されているかどうかをチェックした方がいいだろう。※実はWindows98 CD-ROM内の setup.txtに詳細が書かれている。参考にすると良い。

1998年9月22日 ウィンドウズ98

ようやくMicrosoft Windows98 を導入したが、その顛末を書いておきたい。まずハードディスクの区画を切り直してからインストールしようと思った。なんとなく現在の区画設定が半端な気がしたからだ。とりあえずフロッピィディスクに主要なファイルのバックアップを行い、次にDOSモードで再起動する。FDISKを立ち上げ、一度領域をすべて削除した後、領域を再設定し、フォーマットする。最初は用語などがわかりにくいが慣れれば大丈夫だ。そしてWindows95?Windows98の順にインストールする。本当はフルパッケージ版を購入して、まっさらな状態からインストールした方がスッキリするのだが、これは経済的理由による。Windows98 のCD-ROMをセットすると自動的にメニューが出てくる。あとは表示されるメッセージにしたがって作業を進めるだけ。およそ30分ぐらいでアップデートは終了した。続いてPLUS!98をインストールする。これも問題無く終了。そしてバックアップデータを復帰させて完了なのだが、一部フロッピィディスクに不良があったようで肝心なデータが読み込めない。ここにはメールデータが入ってるので焦ったが、何度か試行錯誤しなんとか復帰できた。さて、生まれ変わった我が環境だが、「95+IE」と大した差は無い。デザインにちょっとした変更が見られるものの、操作的な変更点は無いので戸惑うことは無いだろう。確かにアプリケーションの起動時間は多少速くなっている。結論はまだ言えないが、今のところ95+IE4.01の環境で比較的安定している人はアップグレードする必要は……、無いかもしれない。

1998年9月21日 後期授業開始

いよいよというか、ようやく大学の後期授業が始まった。いつも始まったばかりの頃は休講が多いので、無駄足になるかと思われたが、行かないことには休講を知ることはできない。いつものように電車に乗って大学に到着したが、ちょっと雰囲気が変わっている。耐震工事を行ったようで、斜めに渡された柱が目に付く。8号館などはちょっと現代的に生まれ変わった。ただ、いろいろな場所で女子トイレを増設したため今まで広かったスペースは狭くなっている。例によって3限休講だったので久しぶりに横浜を探索する。ここでWindows98 を購入。その顛末は次回。

1998年9月6日 その1 インターネットカラオケ

So-netが用意しているインターネットカラオケ KaraOK!を利用してみた。ソフトウェアシンセサイザと専用のカラオケソフトは無料でダウンロードができる。曲は一曲あたり150円と安いほうだ。そしてSo-net会員以外でも利用できる。実際に数曲、購入(ダウンロード)してみた。まずは付属のソフトウェア音源で聴いてみる。驚いたことに良い!このソフトウェアシンセサイザ、Faith という会社が作っているようだが単品販売してもらえないだろうか。というぐらいの出来。さらにバックコーラス入りのデータもある。ダウンロードに少し時間がかかるがより本格的なサウンドが楽しめる。しかし、残念なことにダウンロードした曲のデータはもちろんMIDIではない。もちろん一度ダウンロードしたデータはいつでも何度でも再生できるのだが、独自の形式を取っていてバックアップや複製が出来ないようになっている。(ダウンロードしたデータは7日間まで再ダウンロード可能)さらにブラウザと連携した操作体系であるがゆえにわかりづらいところもある。だが、家庭で立派なカラオケの環境が揃ってしまったのだ。世の中便利になったものだ。
その2 毒をもって毒を制す
毒物による犯罪が続いている。ちょっと前までは、少年による刃物を使った事件が問題になったが今は毒物がブームであるらしい。マスコミに簡単に感化される現代人の虚しい姿が浮かび上がってきて非常に腹立たしい。もちろんマスコミの過剰なまでの報道と演出にも問題があるだろう、とマスコミが言っていたぐらいである。青酸化合物にしても亜ヒ酸にしても簡単に手に入るものではないだろう。そうなると代わりに例の偽やせ薬のような稚拙な犯罪を犯すのか。まあ、これは馬鹿な学生の仕業だろうが、毒物にはナイフのように返り血を浴びないとか、凶器が残らないといった利点がある。しかし毒物は入手が困難なために、犯人の特定がしやすい。つまり、毒を持った犯人が自らの毒に侵される日は遠くない。
その3 埃
いつもは掃除しないベッドの下を掃除した。おおよそ半年に一度は掃除するのだが、ここには収納スペースがある。けれどすぐに埃っぽくなってしまうので特に必要ない資料とかを保管してある。もちろんこの時、埃は見事なまでに堆積。掃除機でそっと吸い取って、一度要らない資料を整理することにした。主にカタログである。高校時代よりカタログを眺めるのが好きだった。当時(今もだが)貧乏学生で欲しいものがあっても買えない。だからせめてカタログだけでも眺めてあれこれ思案するのである。もちろん冷蔵庫とか洗濯機のカタログではなく、オーディオ製品や、コンピュータ、音源や電子ピアノのカタログだ。ちょっと前の音源のカタログが出てきた。まだSC55-mk2、SC-88VL、SC-88の時代だ。平成6年となっているので高校時代に貰ってきたものだろう。当時、高くて手が届かなかった音源は、現在ここにあるし、欲しいものは必ず手にしてきたわけだ。埃の堆積とともに時間は確実に堆積してきた、そんな感じがする。ただ、堆積した埃は誰にでも見えるけれど、堆積した時間は自分にしか見えない。余談) 当時の「ミュージ郎 88Pro」に付属している音源は「SC-88Pro」ではない。

1998年8月29日 夏の終わり

夏が終わる。しかし、大学生である僕の夏休みはまだまだ終わらない。やりたいことは今のうちにやっておかねば損である。けれど、その前に生活習慣を整えることからはじめなくてはならない。健康的な面では、僕はすこぶる元気である。だが生活のリズムは乱れまくっている。人間は25時間で1サイクルなので普通に生活していても狂うものなのだが、実は、そういう狂い方でなくて社会的な生活のリズムの狂いを是正しなくてはならないのだ。要するに夜に寝て、朝に起きるという生活のリズムである。夏休みに入ってから起きる時間は一定ではない。早朝に目覚める時もあれば、晩に目覚めることさえある。体は健康なので申し分ないが、これでは大学の後期授業が始まってから体調を崩すだろう。そこで、昼間起きているように努力をし始めた。どんなに眠くても昼間には寝ない。そう決心したのだ。全く情けない話だが、この昼間にやりたいことをやるということにすれば(何しろ時間はある)一石二鳥である。

1998年8月14日 My Yahoo!

"実際にMyYahoo!に登録してみたが、なかなか便利である。具体的にはニュースのヘッドラインや天気予報、好みのチームのスコアボードなどが表示できる。まるで自分専用の情報データベースをもったかのようで嬉しい。検索サイトが単に検索だけに終わらないところにYahoo!の意気込みが感じられる。他の検索サイト(goo,excite)では、電子メールサービスをはじめているが、正直な話メーラーとしてブラウザを使用するところが不便である。もちろん電子メール環境を要求せずに、インターネット接続されているところであれば、どこからでもメールの送受信ができるのがこの長所である。が、これは特別な場合に限定されるだろう。つまり、この恩恵を受けることができるのはインターネットに接続可能だが、電子メールアドレスを持っていない人である。なお、この手のサービスはアメリカ版Yahoo!でも始められている。そして、Yahoo!のページャー。ICQが有料化との噂があり、その代替手段として注目されている。ICQ同様リスト登録された人がインターネットに接続しているかどうかがわかるプログラムである。もちろんメッセージの送受信も可能だ。実際に使用してみた感じだが、慣れていないせいか使いにくかった。いろいろな設定画面ががまとまっていないので(ブラウザから行う)ちょっとした変更に右往左往するかもしれない。個人的にはICQの方がわかりやすくて良い。"

1998年8月12日 RealAudio

最近 「RealEncoder」で遊んでいる。これは「RealPleyer」で再生できるファイルを作成するツールだが、なかなか面白い。もちろん音質を重視するならMP3のほうが上だが、手軽に作成できて手軽に再生できるところに、この RealAudioの良さがある。ホームページにアップしないデータであれば、最高速度のものを選んで作成すればサウンドはそれほど劣化しない。ただ、ホームページにアップするとなると、この辺で板挟みが生じる。接続速度をより高速なものに設定すれば、音質はアップするが、それ以下の環境で接続している人にはうまく聞けない状況が起こる。かといって、低い接続速度で再生可能なレートに設定すると曇ったサウンドに我慢できなくなるのだ。もう一つ、ホームページスペースの容量の問題もある。長い曲をたくさんアップロードすると容量をオーバーする可能性がある。まあ、他の形式のファイルほど容量を食うわけではないが、常に気を配っておく必要があるかもしれない。この心境は45分のテープにCDアルバムを全曲ダビングするのに似ている。こうしたことに興味を持つのも、MIDIデータの短所を補うためだ。環境が変われば音が変わる。これは、自分が伝えたいことを他人にしゃべらせて納得させることに等しい。本当は音そのものを相手に伝えたいのだ。

1998年8月11日 カレーライス

馬鹿なことをするものだ。毒物を鍋に入れてどこが楽しいのか。自分の胃袋にでも突っ込んだほうが人が味わえない感覚を体感することができるだろうに。こういう冷酷で無慈悲な犯罪には腹が立って仕方がない。どこかでテレビの報道を聞きながら、薄ら笑いを浮かべている奴がいると思うと今すぐにでも会ってぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。相手のモノを奪ったからには、それを返さねばならない。命を奪ったならば命を持って償わなければならないのだ。しかし、犯人にそんな度胸があるとは到底思えない。いつもの結論だ。正当な手段で反発することができないから、悪魔の方向へと転がったのだろう。結局は弱い人間だ。負け犬が遠くから吠えているようなものに等しい。ただうざったいだけである。

1998年8月1日 夏休み

夏休み。本来であればどこかへ出かけたいところである。しかし、財布の紐はそれを許さない。まあ、簡単に言えば金がないのだ。男ならばサマージャンボに夢をたくすというのもあるが、元手がなければそれを実行できない。それほどまでに貧窮状態なのである。しかし、家にいればお金を使うこともないし、生活に不自由はない。ここは耐えてしのぎたいところだ。が、葛藤は起こる。せっかくの夏休み。お金を使わずに楽しくやる方法はないものか。考えた挙げ句一つの結論を導き出した。面白いバイトを探せばいい。うむ。見つかればいいが。

1998年7月24日 単位

単位の取得。それは、大学の前期・後期試験で決まる。どんなに毎回欠かさず出席しててもテストで点を取れないと単位は貰えないわけだ(例外もあるけど)。だから、この時期大学生は忙しい。コピー機の前には行列ができ、普段ガラガラの図書館には学生が殺到する。正直な話、僕はこの時期が嫌いではない。なんだかんだ言って充実していると思う。あまり感心できた充実さではないけれど、この状況の中で(逆境とも言える)単位のためにいろいろと手を尽くすのはなかなか楽しい。果たして、今年度終わったときに微笑んでいるかどうか。

1998年7月12日 CD

CD棚の中を整理した。いろんなCDがあって順番がバラバラだったので、ここは整理、と思い立ったわけだ。なんか懐かしいものまで出てきて、ついつい聴いてみる。中学時代に買ったCDなどは当時の風景が思い出されてきて懐かしい。整理どころではなくなってしまった。僕がクラシック音楽を聴き始めたのが小学4年。当時、親におねだりして買ってもらった記憶がある。まだカセットテープだった。親から譲り受けたプレーヤーにセットして聴いたテープは今、どこにあるのだろう。そう思い出して、カセットを探す。タンスの中にそれは眠っていた。FMラジオから録音したテープも、あの時のまま残っていた。あれから中学に入って深夜ラジオに夢中になった。そのおがけで邦楽を聴き始めるようになった。それまでは邦楽は嫌いだった。というか歌そのものが嫌いだったのだ。けれど時間が経つにつれ、それらを自然と受け入れるようになった。──そして、今日もCD棚の整理は終わらなかった。

1998年7月7日 七夕

七夕。神奈川県平塚市では毎年この時期に「七夕祭り」が開催される。毎年趣向を凝らした七夕飾りが登場するわけだが、それだけでなく屋台の数も相当な数に上る。スピードくじの屋台に集まった子供たちを見ていると、自分も幼少期をついつい回想してしまう。手元にあるアルバムをめくれば当時の懐かしい雰囲気が想起される。けれど七夕祭り自体の基本的なことは変わっていない。また来年も七夕は開催されるし、そうしてもう何年もやってきた。つくづく感じるのは自分が変わってきたこと。だから七夕祭りにはどこか懐かしい雰囲気さえ漂う。

1998年6月30日 音源

だいぶ昔より欲しがっていたMIDI音源、Roland製SC-88Proを購入した。貧乏学生にとって約7万円という額は決して安いものではない。しかも、これを買ったのは給料日前の24日。銀行残高は知る人ぞ知る3ケタしかない時である。明日は給料日。ウキウキした気分とともに苛立ちもあった。本来であれば、今月の給料が出た段階でキャッシュで7万払える予定であったのだ。しかし、いろいろなことで出費は増え、今月分の給料6万円弱プラスしても買えない状態になってしまったのだ。しかし、世の中には便利なものがある。つまり、カードである。正直な話、カードはインターネットの料金支払いだけに使ってきた。よってカードそのものを提示して云々ということはやったことがない。大学での講義中にいろいろ思案を巡らせ、帰宅途中、ヨドバシカメラ横浜西口店でついにそれを決行した。店員の前で「これ下さい。カードで。2回分割で」と。支払いは8月10日と9月10日の2回に分けられる。そして金利、手数料はかからない(たぶんそうだった)。借金を背負った学生は複雑な思いで帰宅した。早速、箱から出してコンピュータとつないで聴いてみる。が、ケーブルは別売であることが判明。つまり、接続できず。ちょっと注意力が散漫であったようだ。気を取り直して翌日、大学から帰宅する途中に買いに出かけた。そしてようやく接続。サンプル曲をいくつか聴いてみる。音の厚みが違うなと感動する。そして弟の持っているMIDIキーボードと接続してみた。うんうん、格が違う。これにより本格的にエフェクトや調整を行う環境が一つ揃った。あとはMIDI機材をいくつか揃えたいのだが、これは後回しにしよう。その前に働いて稼がなくてはならないからだ。夏休みが一つのヤマになるだろう。

1998年6月21日 弱虫

「理性を重んじているから」臆病な友人はよくこう言う。いわゆるハメをはずすことを極端に嫌うタイプの人間だ。当然のごとくつまらぬ人間として見られることになる。そして僕は奴に聞く。「それで楽しいか?」と。やや遠慮気味に彼はうなずき「楽しくないこともない」と曖昧に答える。別に彼をいじめているわけではないのだが、彼は「理論」だの「理性」だのにうるさい。正直な話、何も出来ない人間にそんなことを言われては腹が立つ。本来なら「理論」より先に「実践」があるべきである。そこから得た知識をもとに理論が構成されるはずである。だから彼のいうことに説得力は無い。何もしていない人間があたかも識者のごとく世を眺め、不平不満、文句をたれる。かくゆう自分はどうなのか。僕はもちろん、自分なりの考えを持っている。けど識者としてのプライドみたいなものはない。そもそも識者としての器ではないし、世の中に対して文句を言いつつ生きる姿勢(批判的精神)には納得がいかない。文句を言いながら生きていては幸せになんかなれっこないし、所詮、負け犬が遠くから吠えているようなものだと僕は思う。頭でどんな立派なことを考えていても実践できなければ、何も考えていないのと一緒。これは僕の父親に教わったものだ。まさにその通りだと思う。中学1年の時に好きな四字熟語として選んだ言葉「熟慮断行」──この思いは変わっていない。

1998年6月11日 梅雨

非常に嫌な天気が続いている。梅雨の雨空と高い湿度。頭の中までカビが生えてしまいそうだ(まさか)。犬や猫だって雨の日はじっとしているものなのに、人間は傘をさして出かけねばならない。いざ大学へ。校舎の中は一部を除き、蒸し暑い。下敷きを団扇代わりにするものの、ただいらつきが増すばかりである。講師だけが張り切っているというけだるい状況。おいおい空気を読めよ。というか、温度と湿度を読めよ。しかも、ビシッとスーツを着て暑苦しいではないか。心の叫び空しく90分蒸し焼き軟禁状態。外に出ると多少は涼しいものの雨。ちくしょうと呟きながら食堂に駆け込む。──むっ。ここもか。梅雨は非常に過ごしにくい季節である。

1998年6月5日 ラーメン屋

午前11時ちょっと前、東急東横線東白楽駅を降りてしばし歩く。横断歩道を渡り、六角家の券売機に硬貨を入れてボタンを押す。出てきた食券を持って、店内へ。いつもの店員が好みを聞く。「油少なめ」僕はそう答えると席についた。ここは新横浜ラーメン博物館に支店を持つラーメン屋である。大学に入ってからというもの、よくここを利用している。昼時は列ができるぐらい大盛況なので少し時間をずらして来るようにしている。オフピーク通勤ならぬ、オフピークランチだ。しばらくしてラーメンが運ばれてきた。割り箸を割ってからは、至福のひとときが訪れる。トンコツベースのスープにやや太い麺。ほうれん草とチャーシュー、海苔とシンプルな作り。味はややこってりしているが、好みによって調節できる。ここのラーメンは何よりスープが旨い。一気に食べ終え、外に出た。

1998年5月26日 深夜

最近、就寝時間が不規則である。インターネットのテレホーダイタイムの影響というよりは深夜バイトの影響である。夜中に仕事をしていると同じ夜中の生活をしている人たちと出会う。もともと僕は昼間の人間だったが、夜に生きる人たちがいないと世の中が動かない現実を、このバイト(コンビニ)を通じて痛感した。深夜、眠そうな顔をした新聞配達の常連さんが顔を出す。これから朝までに各家庭に新聞を配らなければならない。たとえ雨であろうと休むことは許されない。雪で路面が凍った日でさえ、与えられた任務をこなす。トラックの運転手も立ち寄る。コンビニのくずかごに煙草の吸い殻を捨て、コーヒーと食べ物を買っていく。これから荷物を指定の時間、指定の場所に届けなくてはならない。そして運ばれた荷物から新しい仕事が生まれる。もちろん、この小さなコンビニエンスストアにだって、そういった人を支える仕事がある。確かに眠いけど、それはそれで楽しいものである。だから僕はテレホーダイタイムに強い(!?)のだ。やれやれ。

1998年5月23日 お金がない

給料日前にして、お金がない。これは有り得る事態である。が、僕の場合、給料日を過ぎてもお金がない状態がつづく。いや、正確にはお金はあるのだが、使えない状況が続くのだ。一応断っておくが、僕は学生である。アルバイトで月に稼げる額はそう大きくはない。何か高いものを買うとき、倹約令を自ら発令して日常生活を制限するわけだ。かつて1日230円で乗り切ろうと意気込んだこともあったが長くは続かなかった。現代の物価と消費税を考慮すればそれはそれは地獄である。では、今回発布された倹約令ではいくらか?1日300円である。前に比べ70円のアップである。果たしてどうなるものか。

1998年5月1日 図書館にて

最近、大学の図書館がお気に入りである。比較的静かで空調も心地よい。春なので適度に開いた窓からさわやかな風が通り抜ける。講義の空き時間などはここで時間を費やす。僕は高校時代より図書館が好きだった。しかし、高校の図書室などは少々窮屈で何か物足りない。そこで授業を抜け出しては市立の図書館に出かけのんびりと過ごしていた。そして大学の図書館である。今、僕はここでこの文を書いている。図書館では創作意欲が増すからである。これは昔からそうだった。色々な事をここで考え、処理してきた。自分の好きな音楽の勉強もした。なかなか高くて手が出せない本もここには置いてある。持ち出してきては一心不乱に読んだ。そして、今日も。時間はゆっくりと流れていく。

1998年4月26日 電話

電話が鳴る。受話器を取ると、それは女の人からだった。僕を呼び出してくれと言っている。本人であることを告げると、いつもの勧誘の電話だった。かけてくる度に変わる会社名、そして電話の向こうの担当者の名前。どんな馬鹿でも、変な点に気づくはずだ。そうしてこうした電話はもう何ヶ月も続いている。で、どういう勧誘なのかというと「レジャー施設が割引になる会員にあなたは選ばれました。この会は大手企業の出資で運営されています」という内容。もちろんそんなのは断っている。なのにしばらくするとまたかかってくるのだ。もうすでに腹が立つのを通り越して呆れている。相当、頭が悪い。僕が何度も痛い質問を浴びせたのが、悔しかったのかな。だが、いい加減にしてほしいね。

1998年3月30日 新しいスピーカー

パソコン用スピーカーを買い換えた。うちのパソコン(FM-V)に標準でついてきたスピーカーはただのスピーカーだ。音質はお世辞にも良いとは言えない。そこで早速、横浜のソフマップに行ってみた。いろいろなメーカーのものがあったがYAMAHAのYST-M20DSPに決めた。実売価格も1万円ほどと手ごろだ。で、音質は上々。今までのスピーカーとは雲泥の差である。モノラル録音されたソースもDSP(Digital Surround Processing)によって音に奥行きと広がりが生まれる。試しにフルトヴェングラー指揮のベートーベン交響曲第9番(バイロイト祝祭管弦楽団)を聴いてみたがその差は明らかだ。モノラル録音盤の狭苦しさが嘘のように解消されてしまう。もちろんステレオソースも綺麗に再生される。パソコンで音楽を聴くのは不便だと考えていたが、よく考えると僕のパソコンは常時起動しているわけで、実はそれほど不便ではない。パソコンポとは誰かが言ったが、まさにそうした状況が続きそうだ。

1998年3月29日 懐かしい音楽

横浜のHMVでBOOWYとComplexのベストアルバムを購入した。昔のがこうしてベスト盤で発売されるのは嬉しい。両方とも布袋寅泰が関わっているのでファンとしては外せない。しかもこれらは高校時代によくカラオケで歌ったものだ。非常に懐かしい。ついついあの頃のことを思い出してしまう。それも通学途中の風景を思い出してしまうのだ。というのは、通学途中ヘッドフォンで聴いていたからだろう。以前、教科別に曲を決めて「ながら勉強」していたことがあるが、これはテスト中にその曲を唱えれば勉強した内容も思い出せるはず、という仮説に基づくものだった。しかし「ながら勉強」では肝心の勉強がはかどらず意味がなかった。ほんの数年前の苦い思い出である。

1998年3月10日 ナイフが傷つけるモノ

ナイフの犯罪が増えている。ナイフで嫌いな奴を刺せば、というかナイフを持っていれば強くなれると勘違いしている人間が多いようだ。護身用なんぞいうのは言い訳に過ぎない。ドラマやゲームに簡単に感化されてしまう無邪気な子供の姿がそこにある。ここは日本だ。そんなに日常生活は危険ではないはずだ。それにナイフでは身を守れないだろ?鎧でも調達することだ。相手を刺せば「勝つ」というのはゲームやお話の世界に過ぎない。もしナイフが無ければ生きていけないと言うのであれば立派な「負け犬」だ。しかも動機がおかしい。「キレちゃった」というのはあまりにも無責任で馬鹿にしてる。自分が「精神的に弱いですよ」とアピールしているようなものだ。しかし、確かに気持ちはわかる。自分も「キレる」ことはあった。だけど後になって当時を振り返ると、思わず苦笑いすることになる。「子供だったな」と。卒業文集や過去の作文を読み返したときの感覚に似ている。だから、ただ一つ言えることは自分の将来を大切にすることだ。これは相手の将来をも大切にすることにつながる。つまり、ナイフが傷つけるもの、そう、それは自分自身なのだ。

1998年2月7日 リヒャルト・シュトラウス

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」と「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を続けて聴いた。ドンファンは理想の女性を追い求め葛藤が続くがついに死んでしまうそんな風景を描いた音楽だ。一方のティルは14世紀のドイツに実在したといわれる当人のいたずらを描いたもので、最終的にこのいたずらに対し「死刑」が宣告されるという音楽だ。自分はリヒャルト・シュトラウスが大好きなのでよく聴くのだが、作曲能力、特にオーケストレーションの見事さには圧倒される。ぜひ一度聴いてみてほしい。個人的には「死と変容」がお気に入りだが、ほかにも「2001年宇宙の旅」で使われた交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」、自分を英雄と見立てて描いた「英雄の生涯」などがある。

1998年2月2日 雑誌

「AERA」の電車のつり広告に記されている文句は非常におもしろい。最近、笑えたのは「ピチピチ・シャブシャブ・ランランラン」だ。もちろんノーパンシャブシャブの一件という笑えないことについて風刺したものだが、本当に上手い。毎週電車に乗るたびついつい広告を探してしまう。ただ、雑誌自体は買ったことがないのだ。かつて「老人を踏み台にして転げ落ち」という名文句があったが、これは厚生省の一件。今度は大蔵省。本当に大丈夫なのかね。日本は。

1998年1月24日 日本の社会

金融業界の破綻が続いている。日本の社会つまりは会社がどのように運営されてきたかが浮き彫りになるにつれ、我々子供はあらためてうんざりすることになる。明日にでも社会に立つ我々子供にとって大人たちの馬鹿さ加減にはあきれてものも言えない。そしてそのツケは我々子供が背負うのだ。ラインとスタッフ。戦後の社会の中で優遇されたのは「高学歴保持者」だ。これは極めてライン寄りである。上から勉強内容を与えられ、それをこなすのに長けている人間。つまり勉強のできる人間こそが頭のいい人間だと教え込まれてきた。だが、山一證券に限らず一流と言われつづけた人間の本当の姿は頭がいいなんて形容できるものではなく、ただの馬鹿だったのだ。我々は戸惑った。親から教え込まれてきた学歴神話は崩壊し、我々の将来を白紙から設計しなくてはならなかった。見栄なんてどうでもいい。学歴や職歴におぼれていてもしょうがない。学歴や職歴は自分の後についてくるものであって前にぶらさげているべきものではない。そうわかっていても見栄を張りたい。しかもその結果、自分自身が崩壊することはわかっている。なのにどうすることもできない。また、就職しても日本のシステム全体、いわゆる縦社会構造のために自分の思ったことは何もできないのだ。政治家だって同じだ。総理大臣になったって自分のやりたいことは何もできないはずだ。冷静に考えてみよう。今の大企業は大工場と同じで生産能力を向上するために流れ作業(分業)を行っている。要するに**部とか**課とかいうやつだ。つまり工場における流れ作業の一点でどうあがいても生産されるモノを変えることはできない。ネジをはめるだけの工程だけで自動車全体のデザインからエンジンまでを変えることはできないわけだ。できるのはネジをしめ忘れることだけである。もちろん最悪の場合、工員は、つまり社員は解雇されるだろうがね。だったら小さな工場に勤めるのがいいだろう。もちろん、金の保証はない。金がほしい奴は自分のやりたいことを犠牲にしてでも大工場に勤めればいい。ただ自分のやりたいことをして仕事がしたいのなら大工場はやめたほうがいい。もちろん、小さな工場においてその人の能力は問われるだろう。けれどその能力が妬みの対象になるほど縦社会ではないはずだ。あなたは作りたいものをその工場で生産する。そしてそれが社会に認められれば、あなたの勤めている小工場は、あなたの運営する大工場へと発展するのだ。スタッフ。これからのキーワードとして注目されているものだ。会社は、与えられた課題をこなす能力を持った人(つまり、ライン)ではなく、課題そのものを創出していく能力のある人間を必要としている。少なくとも我々は本当の意味での頭のいい人になる必要がある。定義は目的を持って行動し、合理的に思考し、環境に対して最も効果的に対処する、つまり知能が高いことであって偏差値が高いことではないのだ。幸い2009年には大学全入時代がやって来る。